2019年7月22日月曜日

本州最北端のシングルオリジンコーヒー店に行ってみた


この週末、(2019年の)7月20日から1泊で、ひとり暮らしの老母と食事をともにするため、青森県下北半島の実家に帰省してきました。

羽田空港から三沢空港へJALで飛び、トヨタレンタカー三沢空港店でヴィッツをピックアップして2時間のドライブ。あ、下北半島への旅でレンタカー利用する場合は、トヨタレンタカーがオススメです。理由は後ほど。


21日は、かつて本州最北端の鉄道駅があった大畑駅(私の実家の最寄り駅です)周辺の線路を使って、キハ85型の車両(ディーゼル車)のデモ運行が行われていました。この運行は、毎月第3日曜日に行われているそうです。200円払うと、車両に乗車することもできます。

本州最北端と言えば、この大畑駅の近くに、今年1月にオープンしたコーヒーショップがあります。うたい文句は「本州最北端のシングルオリジンコーヒー専門店」。「艮(うしとら)珈琲店」というお店です。


私の生まれ故郷、青森県下北郡大畑町(今はむつ市大畑町)は、人口8000人の過疎の町です。何故にそんなところにこんなコジャレたコーヒーショップが? しかもシングルオリジンですと?

意味が分かりません。

しかし他でもない、生まれ故郷の案件なので、この店についてはオープンする前からネットでウォッチしていました。

オープン後も、インスタなどでウォッチしていました。



うーん。オシャレすぎる。


私の最大の疑問。いや、唯一の疑問は、この店に「本当にお客が来るのか?」ということです。

結論から言えば、お店はメッチャ流行ってました。



どんどん客が来る。

3基ある特製のコーヒードリッパーはフル稼働。とは言え、みんながシングルオリジン飲んでいるワケではなく、カフェオレとかアップルジュースを頼んでいるひともけっこういます。

驚いたことには、お客さんが若い。しかも女子だらけ。この過疎の町にも、ひょっとしたら未来があるかもって思った次第です。


豆の販売も行っていて、この日飲んで美味しかった「イルガチェフェ コチャレ」を買ったら、200グラムで980円と驚きの安さ。しかも、ロースト済みのイルガチェフェがちゃんとストックしてあって、すぐに出てくるのがまた驚き。通常、シングルオリジンの豆は、注文してからローストするので5〜10分お待ち下さいってなるんだけどね。

豆の販売は通販でも行っていて、もしかしたらそっちがメインのビジネスモデルなのかも。価格競争力がありますからね。今度は通販で買ってみることにしよう。

故郷のコジャレたカフェで美味しいコーヒーを堪能して、19時の飛行機に乗るべく三沢空港に向かっていると、六ヶ所村に差しかかったあたりでJALからお知らせメールが!


なんと、「視界不良のため天候調査中」とのこと。羽田→三沢便が到着できない場合は、我々の乗る三沢→羽田便は欠航になると。

あたりはどんどん霧が立ちこめてきました。


18時少し前に三沢空港に着き、レンタカーは返却せずに、JALのカウンターに突撃。

「羽田便はどうなりそうですか? 何分後に結論が出ますか?」

「三沢への便は18時25分到着予定ですが、ちょっと厳しいかも知れません」

この会話の際のJAL地上スタッフの表情を読んで、 「プランB」を決断しました。飛行機を諦め、新幹線にチェンジです。

レンタカーを三沢空港で返却せずに、八戸駅へと向かいます。三沢空港から八戸駅へは車で30分強。今は18時なので、すぐに八戸へ向かえば19時06分のはやぶさに余裕で間に合います。しかし、18時25分まで待って欠航になった場合は、19時06分に新幹線のホームに到着するのはかなり際どい。もちろん、25分に結論が出ていない可能性もある。その次の新幹線は20時13分。1時間以上先です。

もしも天候が回復し、三沢便が到着できれば羽田便も飛ぶことになるので、三沢→羽田便のエアチケットは無駄になってしまいます。が、今回はマイレージ利用の特典航空券なので、まあ、その場合でも諦めがつくと。

勝負、勝負。

トヨタレンタカーに電話して、返却店舗を三沢空港店から八戸駅店へ変更する旨伝えます。助手席で、奥さんがえきねっとにアクセスして新幹線のチケットを確保。


そうこうするうちに、JALからは「【JAL国内線】欠航のお知らせ 」がメールで届きました。やはり、濃霧で到着便が着陸できなかったと。

三沢便は、これがあるんですよ。初夏、梅雨の時期、霧で夕方の便が欠航する確率がけっこう高い。

そんな時のプランBは「八戸駅から新幹線」です。私は過去にもこのパターンを経験していたので、即決断できましたが、18時過ぎの時点で三沢空港にいた皆さんは、20時以降の新幹線か、あるいは三沢のホテルに宿泊して翌朝の便という結果になったと思います。


さてと。海鮮小わっぱ弁当でも食べながら、新幹線の旅を楽しみましょう。道中3時間かかるけど、これよりも早く東京に帰れる方法はないわけで。

以上、初夏の三沢空港から東京へのフライトには、霧の場合のプランBを想定しておかれることをオススメします。ご利用になるレンタカーは、トヨタレンタカーあるいは、ニッポンレンタカー、オリックスレンタカーなど、三沢空港と八戸駅の両方に営業所のある事業者を利用するのがベターですね。

そして、下北半島のてっぺん方面に行かれる方は、是非、艮(うしとら)珈琲店で美味しいコーヒーを召し上がってください。月曜・木曜はお休みです。

▼ 艮珈琲店
https://ushitoracoffee.com/

2019年7月10日水曜日

アウシュビッツ、塩の鉱山、ラーメン屋。ポーランド クラクフの覚え書き

前回のエントリからだいぶ時間が経ちましたが、旅はまだ終わっていません。

ウディネからベネチアに戻って、1泊したのち、ポーランド航空でワルシャワ→クラクフと空路で移動します。平成→令和にまたがる13日間の旅行の締めは、結果的に「ホロコースト研究」となりました。


とりわけ、アウシュビッツ訪問は忘れられない経験になりました。ベネチアからクラクフへの道中について、覚え書きにして記録を残したいと思います。


ベネチア本島の北東部には、ユダヤ人が多く住む「ゲットー・ヌオーボ」というエリアがある。16世紀初頭に建築されたこの地区は「ゲットー」という名前で呼ばれた初めてのユダヤ人居住区。そういえば、シェイクスピアの「ベニスの商人」にもシャイロックというユダヤ人が登場するが、シャイロックが実在したなら、このエリアに住んでいたことになる。


ゲットー・ヌオーボには、ユダヤ人博物館がある。ここで、2つのシナゴーグを見学する小ツアーに参加することができる。


ベネチアからいったん空路でワルシャワに行き、そこから鉄道でクラクフに行こうとしたのだが、満席でチケットが取れなかった。2019年5月4日も、5月5日も満席。日本が10連休だったこの時期、ポーランドも大型連休だったのだ。

日本のゴールデンウィークは、ポーランドもゴールデンウィーク状態。これはどこにも情報なかったよ。5月1日がメーデーの祝日、2日も3日も祝日で、今年は5連休。だから鉄道が大混雑していて、料金の割高な空路でクラクフまで移動せざるを得なかった。

アウシュビッツのツアーも混んでいた。当初、VELTRAの日本語ガイドによる日帰りツアーを予約したのだが、後から満席だとキャンセルされ(VELTRAでこういうのは初体験)、ググって現地のツアー会社の英語ツアーに参加。料金がだいぶ安くなって結果オーライ。このツアーは「ランチを食べる時間がほとんどない」とのことで、ホテルの朝食の時に、ビュッフェの食材でサンドイッチを作って持参した。


朝9時半出発のツアーは、まず「ヴェリチカ岩塩坑」を訪れる。ここは、世界遺産の「オリジナル12」つまり1978年に世界遺産に登録された、最初の12件のうちの1つだと。

この岩塩坑は、300メートルの深さのところまで延々と階段を徒歩で降りるのだが、帰りはどうなってるのか、また階段を延々上るのかとても不安になる。


長い長い坑道をあちこち見学し、最後は巨大な礼拝堂で終了。礼拝堂には大きなシャンデリアがたくさん吊られていて、岩塩を削り出して作った「最後の晩餐」のレプリカもある。


帰りはさすがにエレベーターだった。恐らく、坑夫が使ったとおぼしきエレベーターで上る。エレベーターは檻状の扉で、天井のクリアランスがあまりなく、なかなか珍しい乗り物である。


岩塩坑から1時間ほど車で走って、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所に到着。


ここには当時の建物がそのまま残っており、博物館になっている。


この有名なゲートには「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」と記されている。


建物はまったく朽ちていない。それもそのはず、アウシュビッツは1940年から45年までしか使われていないのだ。

鉄条網は厳重に張り巡らされており、監視塔もあちこちにある。


ここに来て初めて知ったことには、アウシュビッツは当初ユダヤ人が収容されていたわけではなく、ポーランド人の知識人たちが収容されていたんだと。カンボジアでポルポトがやったのと同じ理由だ。


やがて、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)、同性愛者、ハンディキャップのある人たちが順次収容されてゆき、民族浄化の一大拠点となった。ヒトラーによる「ユダヤ人問題の最終的解決」を実行する施設となったのだ。


帰国してから、アウシュビッツの所長だったルドルフ・ヘスの著書「アウシュヴィッツ収容所」を読んだのだが、ガス室でユダヤ人殲滅のために使われたのは「チクロンB」というガスだ。毎日大量に輸送されてくるユダヤ人をどう殺害するかが悩みの種だったヘスとSSにとって、このチクロンBが強力なソリューションになったそうだ。

ルドルフ・ヘスは1947年4月、アウシュビッツの敷地内で絞首刑に処せられた。その場所も見学できる。


ユダヤ人たちの遺品、カバンとか靴とかもまとめて展示されている。施設内は写真撮影OKだが、「セルフィーは自粛して」と言われた。


これは「死の門」と呼ばれるゲート。鉄道の線路も、車両のいくつかもいまだに残っている。


アウシュビッツで殺害された犠牲者の数は、諸説あって実ははっきりしていない。このボードによれば、全部で、少なくとも130万人。そのうち110万人がユダヤ人、14〜15万人がポーランド人、2万1000人がロマ、1万5000人がロシア人捕虜、2万5000人が他のエスニックグループ。


ツアーに参加していた女性が、イスラエルの国旗の前で涙ぐんでいた。線路の上に車座に座って、故郷の歌を歌っている少女たちもいた。

「シンドラーのリスト」で有名なオスカー・シンドラーの工場は、クラクフの町にあり、現在は博物館として営業している。


「シンドラーのリスト」のロケはクラクフで行われたが、アウシュビッツ・ビルケナウが登場するのは映画の最終盤のほんの一部である。アウシュビッツ以外の収容所が舞台なのだが、シンドラーの工場がクラクフにあるので、映画では設定が変更されているのか。

以上で今回のホロコースト研究は終了。次はラーメン。

クラクフのオシャレエリア「カジミエシュ地区」は、ユダヤ人街である。ここの近くに「Akita Ramen Bar」があった。


TONKOTSUが売り切れだったので「KARMA MISO RAMEN」を食べた。30PLNなので850円ぐらい。意外に安い。けっこう美味しいよ。


Akita Ramen Barには、ビールもワインもなかった。ちょっと残念。

クラクフの旧市街は、馬車に乗って観光するのが定番だそう。こんなステキな馬車がたくさん運行してる。


それにしてもポーランドは物価が安い。エアチケットも安い。でも、また訪れるかは分からない。


クラクフは、ポーランドの京都ってポジショニングだけど、ベネチアの後に行くと、さすがに田舎に来た感が強いんだよね。