最近(2021年11月下旬)、MさんからFacebookに友達リクエストが届いて驚きました。
Mさんは、2019年の2月に亡くなっているのです。そんなことあんのか!と思う一方、もしや、Mさんのアカウントが乗っ取られたのかなと思い、Facebookページを覗いてみたら、2018年の1月に、オードリー・ヘップバーンの写真をアップしたのが最後のMさんのポストでした。友達リクエストは、Facebookのバグなんでしょうか。
Mさんは、マガジンハウスのBRUTUSやPOPEYEで映画担当として活躍した、名物編集者兼ライターでした。バブル絶頂期、そして映画業界も人気職種だった時代にはけっこうブイブイ言わせており、フジテレビの人気番組「カルトQ」の構成作家をやっていたこともあります。
私にしても、90年代からの長いつき合いでした。最初は私が宣伝マン時代で、自分の担当映画をマガジンハウスの雑誌で紹介してもらうべく売り込む立場。しかし、21世紀に入って私が起業してからは立場が変わり、こちらがクライアントに。私たちが発注する記事を、毎月原稿料を払って書いてもらっていました。
仕事関係は細々と続きましたが、亡くなる前の最後の3年ぐらいは、お金に困っているMさんを助けてあげた記憶しかありません。以下、故人についてのしょっぱい話ではありますが、私とMさんの思い出を記録に残しておくために敢えて綴ります。気分を害す人がいたらごめんなさい。
Mさんは、当時築地にあった私の会社にぶらりと現れては、私や、私の同僚から数千円〜1万円を無心するのが日課のようになっていました。
Mさん伝説その1
夕刻、築地駅から会社に電話がかかってきて、「Suicaの残高が足りないから改札を出られない。誰か築地駅に小銭もって来て欲しい」と。
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会社の若い衆が駅の改札まで救出に行きました。Mさん、そのままウチの会社に来て、ただ飯&帰りの電車賃を借りてようよう退散。それにしても、ウチの会社に誰もいなかったらどうやって改札から出たんだろって思いました。
Mさん伝説その2
「海外の映画祭に行くのに、ラップトップPCを貸して欲しい」と来社。私は「海外行けるお金あるんだ?」と驚きましたが、映画会社があごあしまくらを出したみたいです。私は、貸したPCを売り払われるリスクを感じ、「Macミニ+液晶モニターなら貸せますよ」と提案。まあまあコンパクトだから、スーツケースに入るでしょ、と。そのセットであれば、なくなっても会社のダメージは僅少。
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Macミニのセットアップが終わると「ありがとう、これで映画祭行けそうだ。ただ、ノートPCよりちょっとかさばるから、タクシーに積んで帰りたい。タクシー代貸してちょうだい」
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私は「盗人に追い銭」って、こういう時に使う言葉なんだなと1人で合点しましたね。昔の人は面白い言葉考えるねって。
伝説はその他にも数限りなくあるのですが、個人的に一番凄いなと思ったのを記して終わりにします。
それは、亡くなったMさんのお通夜の日。私は、葛飾区の四ツ木斎場まで車で行ってお焼香しました。お斎の席に行くと、映画業界の知った顔が10〜15人ほどありました。Mさんは、そこにいる全員から、いくばくかの借金をしていたのは間違いないでしょう。不謹慎ながら「これは、お通夜というより、債権者集会だなあ」などと考えていました。
まあ、Mさんの無心は、いつも2〜3千円レベルだったので、そんなに腹を立てることもなく、「しょうがねえなあ」って感じで渡していた人が多かった記憶があります。どうせ帰って来ないから、催促もあんまりしない。
さて、お通夜から自宅に帰って気づいたことには、サイフがない! 私のサイフはとても小さくて、こんな感じにカード類が5〜6枚と、お札5〜6枚しか入らないミニマルなものです。ジーンズの前ポケットに入れており、支払いの時に取り出しやすくてとても気に入っています。このお気に入りのサイフがなくなった。
慌てて四ツ木斎場に電話したら、「受付で預かっています」と。免許証や保険証もこの小さなサイフの中に入っているので、確認は楽でした。ホッとしました。
翌日、お葬式の最中に、斎場の受付にサイフを受け取りに行きました。クレジットカードや免許証はそのまま残っていましたが、1万5000円ほど入っていた現金はすべて抜かれていました。
「Mさん、死んでからもオレからお金借りるんだ」って大いに感心しましたよ。さすがMさんです。
さて、亡くなって2年以上経つのに、Facebookで友だち申請が来るってことは、あの世でお金に困って誰かに借りたいってことなんですかね。さすがに故人に支払える通貨はまだないでしょうから、何もできませんけどね。何だか、ちょっぴり残念な気もします。
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