週末(2025年4月20日)は、フクダ電子アリーナに行ってました。ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフ千葉)は1対0で大分トリニータに勝利、今季は10節終了時点で9勝1敗で勝ち点27。2位の大宮とは勝ち点差7の首位と、ここまでは絶好調のシーズンになっています。
Jリーグが発足した1993年以来、ジェフ千葉を応援しています。ジェフ千葉は2009年にJ1で最下位に沈んでJ2に転落して以来、ずっとJ2リーグから抜け出すことができていません。
しかし、2023年の小林慶行監督就任以降、攻撃的かつスピードの速いサッカーがサポーターを魅了し始め、2023年は5位で昇格プレーオフ進出(PO準決勝で敗退)、2024年は7位で昇格プレーオフ一歩手前と、可能性を感じさせるチームになってきています。私も2024年シーズンの後半からシーズンチケット購入を再開。フクダ電子アリーナに毎月1〜2試合観戦に出かける習慣に戻っています。
スタジアムの敷地内には、イビチャ・オシムさんの銅像が立っています(2023年6月建立)。オシムさんは2003年から2006年の途中までジェフ千葉の監督を務めた後、日本代表の監督に就任しました(2022年没)。クラブ史上、もっとも偉大なレジェンドであることは疑いようのない事実です。
オシムさんがジェフ千葉の監督だった時代の獲得タイトルは、ナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)での優勝が1回あるのみですが、「考えながら走るサッカー」を選手に求め、「万年降格争いだったチームを優勝候補に変身させた」という評価は定番です。そして何よりも、含蓄にあふれウィットに富んだ「オシム語録」を数多く残したことで人々の記憶に残っています。私も含め、オシム信者は今でも崇拝の気持ちを全然失っていません。
ジェフ千葉は、オシムさんが去った3年ほどあとにJ2に降格し、現在に到ります。「何でジェフ千葉はこれほど長きに渡ってJ2にいるのか?」という質問は私もよく聞かれますが、「オシムさんが偉大すぎたので、それを上回る、あるいはそれに匹敵する指導者が見つけられないから」というのが、答の1つではないかなと思っています。「オシムの壁」が高すぎるんですね。
オシムさんと言えば、最近、反町さんのこんな本を読んでいて、オシムさん関連のエピソードが出色だったので紹介します。
引用してみましょう;
印象に残るのは2005年7月9日の市原臨海競技場で戦った試合(ジェフ市原対アルビレックス新潟)で、エジミウソンのゴールで先制したが追いつかれ、その後勝ち越したもののすぐに巻のゴールで追いつかれ、アディショナルタイムに得点され結局2-3で逆転負けをした試合である。非常に蒸し暑い中で最後まで足が止まらないチームに驚かされたのである。後日、オシムさんに仕えた江尻篤彦コーチに聞いた話だと、オシムさんはこの試合翌日、失点した同じシチュエーションを再現し、それをどうやったら防げたかという練習を30分以上もやったそうだ。試合に勝ってもこうした状況だから、負けた場合はなおさらである。
オシムさんの通訳を務めた千田善さんも言っていた。「オシムさんは『しょうがない』『気持ちを切り替えよう』という言葉が大嫌いだった」と。全力を尽くしたから負けてよしとするのではなく、負けの中身をしっかり精査してそれを次の練習や試合につなげる。そうしないと問題は何一つ改善しない。当時のジェフの内情を知る関係者によると、負け試合の後は1時間くらいの説教を食らうのは当たり前だったらしい。さらに帰りのバスの中でもその負けた試合の映像を流させたという。僕が思うに、勝ちと負けじゃ天と地ほど違うというメッセージをオシムさんは監督として送り続けたのだと思う。(引用終わり)
ジェフ千葉、今シーズンこそ連戦連勝でちょっと調子に乗っていますが、オシム監督時代のハードコアでスパルタな日々に比べたら、まだまだ全然じゃん!って思うのも事実。それにしても、負けた試合の帰りのバスの中でその負けた映像を流すだなんて、ほとんどイジメですよね。でも「勝ちと負けじゃ天と地ほど違う」というのは、今期のジェフ千葉の選手たちがサポーターに対して示してくれている感覚があります。
日本代表時代の、メンバー選考に関する記述も面白い。ああ、そんなこともあったよねって思い出します。
引用します;
オシムさんの船出の試合は2006年8月9日のトリニダード・トバゴとのキリンチャレンジカップ(東京・国立競技場)だった。(中略)オシムさんが8月4日(試合のたった5日前です)に発表したメンバーはGK川口能活、山岸範宏、DF三都主アレサンドロ、坪井慶介、駒野友一、MF田中隼磨、小林大悟、今野泰幸、長谷部誠、FW我那覇和樹、佐藤寿人、田中達也という13人だけだった。同時期に開催されるA3選手権や海外遠征のために千葉、G大阪、鹿島の選手を招集できなかったという事情はあるにせよ、かなり異例の事態だった。
オシムさんが「直前までJリーグを見ないで、その前の段階で選手を選出するのはおかしい」と主張したからだった。直近の試合でケガをするかもしれないし、調子が変になっているかもしれないと。しかし、チームの総務担当からすると試合はお盆の時期だし、チケットの手配も大変だから可能な限り早めにメンバーを決めてもらって、もろもろの手配がしたい。「そんなギリギリまで発表を遅らせたら選手は定められた日に全員集合できないですよ」「新幹線だって乗れないです」と訴える。そんな反論にあのお父さんはなんと言ったか。今も忘れられない。「夜中に、車で移動すればいいだろう。マネジャーが運転すれば、本人は寝て移動できるだろう。ユーゴスラビアで代表選手を集めた時は、昼間は戦争をしていて、夜に停戦して戦車が止まっている間に選手は自分で車を運転してきたんだよ」。その場がシーンとなった。平和ボケの日本との落差というか。私も同僚だった大熊清コーチも「分かりました」と答えるしかなかった。(引用終わり)
ユーゴスラビアでサッカーやるのって、真に命がけなんですね。だから、勝負とか試合とかにかける意気込みが全然違う。敵にやられて「しょうがない」と片づけたり、「気持ちを切り替える」だなんてもっての他。つまり、生きるか死ぬかの価値観でサッカーやってるんだな。
現在のジェフ千葉の小林監督は、オシムさんほどのカリスマはまとっていませんが、久々に現れた、選手にもサポーターにもリスペクトされている監督だと感じます。この監督の下、見事J1に昇格できた暁には、ようやく「オシムの壁」を乗り越えられたと言えるでしょう。オシムさんがジェフの監督を退任してからぼちぼち20年。そろそろあの時代のことを昔話として片づけるようにしないとね。
16年ぶりのJ1復帰、果たして達成できるのか? 久しぶりにサッカー観戦が楽しいと感じる2025年シーズンですが、まだまだあと28試合も残っています。この調子でフィニッシュまで行って欲しいものですが、果たしてどうなるか。毎試合、ドキドキですね。
ところでこの日、オシムチルドレンの中でも、とりわけオシムさんのお気に入りだった水野晃樹が試合前のイベントに登場して、ジェフ千葉時代の思い出を語っていました。
懐かしいですね。水野晃樹は「いわてグルージャ盛岡」のGMに就任したそうです。第2の人生で、活躍して欲しいですね。
先ほど紹介した反町康治「サッカーを語ろう」は、もともとJFAのWebサイトの連載です。オシムさんに関するページがまだ生きていたので、リンク残しておきます。
オシムさんのこと① ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第21回~
オシムさんのこと② ~技術委員長 反町康治「サッカーを語ろう」第22回~