2014年11月20日木曜日

「インターステラー」は「2001年宇宙の旅」を超えたのか?

「インターステラー」の公開が近づいてきました。この正月、見るべき映画として「インターステラー」と「ゴーン・ガール」の2本は外せません。


「インターステラー」は、「2001年宇宙の旅」の現代版とでもいうべき代物です。「2001年」を見たことがある人は、「2050年宇宙の旅」というようなものを想像していただければいいかなと。「2050:A SPACE ODESSEY」です。

映画業界の飲み会などに参加すると、「あなたにとって、生涯のベスト映画は何?」という話で盛り上がることが時々あります。そんな時、私は迷うことなく「2001年宇宙の旅」と答えています。

なぜなら、これまでの人生でもっとも多く、何度も繰り返し見た映画だからです。


「2001年」を初めて見たのは、高校生の時でした。公開から10年以上経っていましたが、「2001年」は難解すぎて解釈できない、だけど絶対チャレンジすべき作品として、伝説の映画になっていました。しかし、地方ではなかなか見るチャンスがなく、私の場合、高校生活を送っていた青森市から、50キロほど離れた弘前市の名画座に見に行ったのを覚えています。

しかし、伝説の名作初体験では、もう爆睡するしかありませんでした。

全く意味が分かりません。田舎の高校生には全然無理でした。猿が骨を振り回してたと思ったら宇宙ステーションに……意味分からん……でも音楽が気持ちいい……寝る。起きると、人工知能が歌を歌ってる……なんか大変そうだけど意味分からん……寝て起きると、宇宙空間に光の洪水。見るドラッグみたいな映像……気持ちいい。また寝る。起きると、ヨーロッパのアンティークな部屋に宇宙船がいて、老人が食事してる……何のこっちゃ。意味が分からないのでまた寝る。起きると、ラストシーンでデッカい胎児が宇宙に浮かんでいる。

私の頭の中には、特大の「?」マークが浮かんでいました。

何だか凄い映画だというのは分かる。だけど、全然意味が分からなくて悔しいからまた見る。やはり分からん。でも凄い。また見る……。

そんな感じで、映画館で何度か、VHSやDVDになってからは年に一回とか。とにかく、これまでに20回以上は見た映画です。

宇宙はどうなってんだ? 人類はどこから来てどこへ行くんだ? 神って何だ? 肉体って何だ? そういう形而上学的なところを学んでからでないと、理解できない映画なのかと痛感させられます。

一方、ストーリーが理解できなくても、傑作として成立する映画があるんだということも認識しました。

映画を解釈しようとせず、視聴覚を解放して右脳で楽しむ映画なんだと思って、繰り返し見ていたのです。

しかし、町山智浩氏が著した「映画の見方がわかる本」を読んだとき、目からウロコが落ちました。少し引用します。

「2001年宇宙の旅」がわかりにくい最大の理由、それは本来あったナレーションを後で削除したためだ。
キューブリック自身が書いたシナリオではストーリーを説明するナレーションが要所要所に入っている。たとえば、月面で発掘された謎の石版(モノリス)がノイズを発し、科学者たちが頭を抱えて苦しむシーンの後には、「月面から発射されたエネルギーが太陽系を貫いて飛んでいくのを(火星と木星の軌道のあいだに設置された監視ブイが)捉えた」というナレーションがあり、そのエネルギーを追ってディスカヴァリーが探査に向かったことがわかる。

キューブリックが省いたのはナレーションだけではなかった。

「2001年宇宙の旅」は当初、本編が始まる前に科学者や宗教家など専門家十一人のインタビューが十分間上映される予定で、キューブリックは実際に撮影もしていた。

ところが、彼はこの解説も最終的に使うのをやめてしまったのである。

なぜ、キューブリックはナレーションと解説を削除したのだろう?

「わざと」わかりにくくするためである。では、なぜそんなことを?

「マジック」のためである。

観客に理解させすぎるのは手品のタネをバラすようなものだとキューブリックは考え、最終的にナレーションを省いたのだ。

「わたしが狙ったのは視覚的な体験だ。言葉で整理することを避けて、潜在意識に直接突き刺さるエモーショナルで哲学的な体験だ」


キューブリック、恐るべしですね。あの映画に、しっかりとしたストーリーがあったとは驚きです。しかも、それをワザと分かりにくくするだなんてもっと驚きです。まさに「マジック」炸裂の一本。


さて、「インターステラー」です。これまたとんでもない映画です。

私はここ2~3年、テスラ・モーターズやスペースXを経営するイーロン・マスクに大注目していますが、彼のライフワークである「滅亡する運命にある地球から、人類を脱出させて火星に連れて行く」というミッションが、この映画の根底にあるテーマと共通しています。「インターステラー」の主人公たちは、環境破壊によって人類が住めなくなりそうになっている近未来、人類が居住できる惑星を探し当てるのがミッションなのです。

その宇宙探索という本筋の脇には、主人公である宇宙飛行士と娘とのストーリーがあって、スペース・オデッセイとメロドラマの2本の軸が交錯しながら映画は進んでいきます。

ストーリーは案外わかりやすく、キューブリックがわざとやったような難解さはありません。相対性理論や量子力学の話も出てきますが、それほど難しいとは感じません。とはいえ、もちろん「2001年」を意識しているシーンはたくさんあります。


終盤に大きなカタルシスがあるのですが、ここは賛否が分かれるところかも知れません。時空を超えて、宇宙探索と親子のドラマが交錯する、もの凄いシークエンスです。

ホント、「よくこんなこと思いつくよなあ」って感じ。

自作のタイムラインをアップしている人がいたので貼ってみます。


    凄い労作。ナイスなインフォグラフィックス。

    映画のエンディングも、ちゃんとしたハリウッド・エンディングになってます。見た人の満足度、というか達成感もそれなりに高いと思いますよ。

    だけど本当のことを言えば、キューブリックのような観客置いてきぼりにする「マジック」をもうちょい期待してたんですよ。

    でも、今のお客に「マジック」が果たして通用するかというと、これまた疑問です。

    まあ、今作のノーランは、キューブリックにはかなわいまでも、結構いい勝負してると思いましたね。11月22日公開。




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