2014年5月2日金曜日

「ホドロフスキーのDUNE」で目からウロコ。若き日の自分に見せてあげたい映画

いやいやいやいや。またしてもすごいものを見てしまいましたよ。「ホドロフスキーのDUNE」。未完の超大作「DUNE」のオリジナル企画が、いかに頓挫していったかを描いたドキュメンタリーです。

何というか、目からウロコが何枚落ちたか分からないレベル。自分が培ってきた映画史観が全否定されたあげく、この映画によって上書きされたという感じ。

20代のころ、イスラエルを旅行した時、テルアビブのバーに入ったら「DUNE 砂の惑星」のポスターがドーンと飾ってあって興奮したことがありました。ユダヤ人はあまりお酒を飲まないんですが、さすがに首都にはバーぐらいあるよってことで繰り出したんですが、そこにB倍サイズの「DUNE」があった。B倍よりデカかったかも知れない。


「DUNE」の舞台となる星には、月が2つ沈むんです。クールな青い月ですねえ。私はそのバーで、この砂漠と空と星しか映っていない映画のポスターを見ながら、ジンを飲んだ夜のことを鮮明に覚えています。

ところで、2つの星が沈むと言えば「スター・ウォーズ」(1977)におけるタトゥイーンと同じなわけですよ。こっちは太陽が2つ。沈む夕陽を眺めるルーク・スカイウォーカーの後ろ姿に哀愁が漂います。てっきり「DUNE 砂の惑星」は、タトゥイーンの2つの太陽をパクって月にしたんだと思ってました。


ところが、パクったのは「スター・ウォーズ」の方だった。

後にデビッド・リンチが監督した「DUNE 砂の惑星」は1985年の公開ですが、そもそもアレハンドロ・ホドロフスキーが「DUNE」を映画化しようとしていたのは1975年のこと。つまり、タトゥイーンの2つの太陽より先に「DUNE」の2つの月があったんです。

私は完全に誤解していました。すべては「スター・ウォーズ」から始まったと思っていたんですが、そうじゃなかった。以下、SF界の主要作品の公開年をタイムラインに落としてみます。

1968年「2001年宇宙の旅」 ←まあこれはこれで「別格」。
1975年  ホドロフスキー版「DUNE」企画中 ←「DUNE」は「SW」の前の企画だった。
1977年「スター・ウォーズ 新たなる希望」
1979年「エイリアン」
1980年「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」
1982年「ブレードランナー」
1983年「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」
1984年  デビッド・リンチ版「DUNE 砂の惑星」 ←公開がここだから「SW」の後の企画だと思ってた。

先の2つの太陽をはじめ、「スター・ウォーズ」がオリジナルだと思っていたものの元ネタは、ホドロフスキーの「DUNE」の絵コンテの中に山のようにあるんです。「その後のSF映画を変えた」作品は、「スター・ウォーズ」じゃなくて、未完に終わった(正確に言うと、制作もされなかった)ホドロフスキーの「DUNE」だったんです。

「スター・ウォーズ」だけじゃなく、「ブレードランナー」や「エイリアン」を初めて見たときに、「なんだこれ凄え!こんな映像見たことないよ」って素直に感動していた若き日の自分に、「おいおい、元ネタは『DUNE』だよ。全部ホドロフスキーのアイディアなんだよ」って教えてあげたい気分です。

例えば、ハルコーネンの居城のイメージは、H・R・ギーガーが担当しました。


ギーガーにとって、初の映画の仕事でした。「DUNE」は完成しませんでしたが、ギーガーの才能はハリウッドの注目するところとなり、後に「エイリアン」のキャラクターデザインに抜てきされました。

このでっぷりとしたハルコーネンのビジュアルは、ジャバ・ザ・ハットの原形であるとみて間違いないでしょう。

こんな感じで、「DUNE」からインスパイアされて、後のSF大作映画で使われたキャラクターやアイディアが山のように出てきます。もうビックリするばかり。しかもホドロフスキーは、パクられたとか全然思ってない。「元祖クリエイティブ・コモンズ」って感じでしょうか。

フランク・ハーバート原作の「DUNE」の映画化権は、やがてホドロフスキーの手を離れ、ラファエラ&ディノ・デ・ラウレンティス親子の手に渡ります。彼らのプロデュースにより、「イレイザーヘッド」「エレファントマン」で成功したデビッド・リンチが監督することになり、映画は製作されました。しかし出来上がった「DUNE 砂の惑星」は、世紀の失敗作という烙印を押されちゃった。リンチは「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」の監督もオファーされていたんですが、それを蹴ってこっちを撮った。で、大失敗したと。

「DUNE」>「スター・ウォーズ」ってチョイスは、それはそれでリンチらしい変態的決断だったと思いますが、そもそも「DUNE」の根っこにいたのは、もっともの凄い変態だったというお話です。



ホドロフスキーの「DUNE」には、主要キャストにも凄い名前が出てきます。銀河帝国の皇帝役がサルバドール・ダリ! ハルコーネン男爵はオーソン・ウェルズ! この夢のようなキャスティングが内定していたという……私は気絶するかと思いました。でも、もうこれ以上の固有名詞は言いません(言いたいけど)。おまけに、キャスティングにまつわるエピソードがまた抜群におもしろい。ぜひ本編を見て驚いてください。

デビッド・リンチが「DUNE」をやることを知ったときの、ホドロフスキーのリアクションも最高です。リンチの名誉もちゃんと回復されている。

それにしても、この映画がホドロフスキーによって作られていたら、映画の世界はいまとまったく違うビジュアル世界になっていたかも知れません。

だけど、このホドロフスキーの「DUNE」は製作されずに正解だったとも思うんです。企画は凄いんだけど、ムチャクチャになってしまう可能性も十二分にあったわけで。とても難産だった映画で、その制作の過程がまた有名にもなった「地獄の黙示録」を思いだしますが、あれがSFの世界で成立するかっていうとかなり難しいものがあります。特に、SFXがまだまだ未確立だった時代です。

今となっては「未完の大作」の方がカッコいいね。しかも「DUNE」の場合は「伝説」と呼んでいい。「伝説的未完の大作」。予告編を貼っておきましょう。


http://youtu.be/r-cnFoqfJfI

しかし、この爺さんは本当に化け物ですね。85歳でこの若さは尋常じゃない。本人は「300歳まで生きたい」って言ってるけど、全然マジだよね。やっぱ人間、老いたらのんびりしようなんて考えたらアカンってことですか。死ぬまでアグレッシブに生きないと。

ちなみに、ホドロフスキーはチリ生まれのロシア系ユダヤ人です。酒もタバコもコーヒーも飲まない。赤身の肉は食べない。若い奥さんとベタベタするのが健康の秘訣だそうです。今思えば、テルアビブのバーの店主は、同胞へのリスペクトを込めて「DUNE」のポスターを飾っていたのかも知れません。

「ホドロフスキーのDUNE」は6月14日公開。

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