2015年3月18日水曜日

「ジョブズの死よりアイブの辞任の方が深刻」Appleの真実を描く本「ジョナサン・アイブ」が面白い

先週は、新MacBookとアップルウォッチの発表イベントが行われましたが、いずれも4月10日にならないと予約できません。それまでのひと月をどう過ごそうかということで、こんな本を読むことにしました。


ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー

アップルは、デザイン部門が絶大な力を持つという世界でも珍しい企業ですが、そこの総帥がジョナサン(ジョニー)・アイブです。アップルのプレスページによれば、「Jonathan Ive is Apple's senior vice president of Design, reporting to CEO Tim Cook. 」なので、CEOのティム・クックの他に上司はいません。

この本は、イギリスで学生時代を過ごしていた頃のアイブの非凡な才能を示すエピソードに始まり、その後彼が海を渡ってアップルに入社し、一連の製品に携わった経緯などが時系列に沿って語られて行きます。が、やはり1997年にスティーブ・ジョブズがアップルに復帰してから、ジョブズとともに大ヒット製品を次々に世に出していくくだりが抜群に面白い。

もちろん、登場人物はジョブズやアイブだけではありません。著者はジョン・ルビンシュタインやスコット・フォーストールなどなど、すでにアップルを辞めた人たちに多く取材して、ジョナサン・アイブやスティーブ・ジョブズやアップルという企業を浮き彫りにしていきます。

そして、アップルユーザーにとっては、かつて手にしてきたいろんなアップル製品がどうやって生まれたかがかなり細かく紹介されているのがたまりません。

少し引用してみましょう。iPod誕生に関するエピソードはこんな具合です。

2001年2月末、ジョブズとルビンシュタインはマックワールド東京のため日本にいた。ルビンシュタインは、いつものようにアップルの部品供給大手、東芝を訪れた。話し合いが終わろうというとき、東芝が直径わずか1.8インチ(4.6センチ)の新しいハードドライブを持ち出してきた。超小型にもかかわらず5GBの容量があり、1000曲を保存できた。

東芝のエンジニアはそのハードドライブをどう使ったらいいかわからず、カメラに搭載すべきかとルビンシュタインに聞いてきた。ルビンシュタインは微笑んで、考えを自分の中に留めておいた。ホテルに帰るとジョブズにMP3プレイヤーがこれで作れると打ち明ける。ただし1000万ドルの小切手が必要だ。

iPodの中身が東芝のHDDだったのは結構有名な話ですが、なんと東芝は、超小型HDDを作ったはいいけど使い道を見つけられなくて困ってたんですね。MP3プレイヤー(iPodのこと)を開発しようとしたアップルにとって、まさに渡りに船だったと。

iPhone/iPadの生命線とも言えるマルチタッチの誕生についてはこうです。

2003年末のある朝、iPod miniの発表直前に、ジョニーとチームは隔週で開かれるブレインストーミングに集まった。いつものようにみんながスタジオのキッチンテーブルを囲む。デザイナーのひとり、ダンカン・カーがアイデアを持ってきた。1999年にアップルのデザインチームに加わったカーは、エンジニアリングの経験が豊富で、いつも新技術をあれこれといじっていた。

カーは社内の入力エンジニアリング部門と協力して、マック向けの新たな入力技術を模索していた。30年以上も主流となっていたキーボードとマウスをどうにかなくせないかと考えていたのだ。そこで学んだことをカーが話すと、メンバーたちは驚いて声も出ないという顔を見せた。「びっくりした。本当にものすごい発見だった」ダグ・サツガーは信じられないという様子で首を振りながらそう言った。

「ダンカンがマルチタッチのスクリーンを見せて、2本指と3本指で違うことをやってみせてくれた。スクリーン上で回転させたり、拡大したりして見せた。そんなことができるなんで、信じられなかった」

現場のシズル感が伝わって来ますよね。もの凄い才能が集まっているところからしか、真にイノベイティブな製品は生まれないとうことでしょうか。

そして、iPhoneの開発は厳戒態勢の中で行われていきます。

フォーストールはメインキャンパスの建物の1フロア全部を占領し、立ち入り禁止にした。

「ドアにカードリーダーとカメラを設置した。入室には、4回も社員証を通さなければならなかった」。彼らのオフィスは「パープル寮」と呼ばれるようになった。「いつもだれかがいた」とフォーストールは言う。「夜も、週末も。だから、いつもピザかなにかの匂いが漂っていた」

「パープル寮の入り口に、『ファイトクラブ』っていう看板をつけたんだ。映画のファイトクラブの第1のルールはファイトクラブについて話さないことだろう? だからパープルプロジェクトの第1のルールも、ドアの外に出たら口を閉じていろってことだった」

iPhoneは「ファイトクラブ」から生まれたんですよ(笑)! しかし、iPhoneの開発は困難を極めたようです。私たちは日々呑気にiPhoneを使っていますが、次のを読むと、ちょっと身が引き締まりますね。これを世に出した人たちに感謝しなくては。

iPhoneの発表は数週間後にせまったマックワールドでのメインイベントになるはずで、延期となれば致命的な打撃だ。「iPhoneに関わっていた人間にとって、それからの3カ月は仕事人生でもっともストレスの多い時期だった」。ボーゲルシュタインはそう書いている。廊下での怒鳴り合いは日常茶飯事。徹夜続きでぼろぼろになったエンジニアが姿を消し、睡眠をとってはまた数日後に戻ってくる。プロダクトマネージャーはオフィスのドアをバタンと激しく閉めすぎて、ドアノブが曲がって出られなくなってしまった。部下が一時間以上も開けようとしたあげくにアルミのバットでドアを破って上司を助け出したほどだった」

なにもかもが初めてで、どれもうまく行かなかった。タッチスクリーンも加速度センサーも、初めて扱うものだった。電話を顔に近づけるとスクリーンがオフになる近接センサーには、後期のプロトタイプで問題が発覚した。長い黒髪の場合にはセンサーが誤作動してしまうのだ。

「基本的な問題を解決できず、iPhone自体を棚上げする寸前だった」。ロンドンでのカンファレンスでジョニーはそう語った。「さまざまな耳の形、顎の形、肌の色、髪型を探知しなければならなかった。それだけじゃない。その他にも問題は山積みで、もうだめかもしれないと覚悟した」

マックワールドでのiPhoneの発表は、2年半にわたる苦労と学習と献身の結晶だった。ある関係者は言う。「苦しい闘いの連続だった。なにもかも。一つひとつが苦しかった。2年半というもの、ずっと闘い続けていた」

マックワールドでのiPhone発表を貼っておきましょうか。このジョブズのプレゼンは、個人的に、今でも年に2〜3回は見ます。7分48秒。




https://www.youtube.com/watch?v=L0XeQhSnkHg

観客の盛り上がりがハンパないですね。iPhoneの登場はほんとうに感動的でしたから。まさに、全てを変えてしまった製品です。

まだまだ紹介したいエピソードは山のようにあるのですが、最後に、UK時代にアイブが所属していた、タンジェリンというデザインラボの創設者クライブ・グリナーの言葉を紹介して、このエントリを締めることにしましょう。

「ジョニーはこれまでも決して単なるデザイナーではなかった。アップルでもはるかに戦略的な役割を果たしてきた。ユーザーインターフェースに関しても意志決定にかかわってきた。今は正式に戦略的な立場に立っている。アップルのこれまでの成功はジョニーの功績によるところが大きいし、だからアップルの未来は明るい。スティーブはジョニーを解き放ったんだ。

グリナーはその意見をもう一歩進めた。「信じないかもしれないが、アップルにとってはスティーブの死よりジョニーが辞めるほうが深刻だ。ジョニーは替えがきかないから。あれほどの人間性、ビジョン、落ち着き、チームをひとつにまとめる力を持つデザイナーを見つけるのは不可能だ。もしジョニーがいなくなれば、アップルはアップルでなくなるかもしれない」

そうなんですよ。今のアップルって、ジョナサン・アイブの生み出す超絶的デザイン・クオリティと、ティム・クックによる徹底的な生産管理の両輪が恐ろしく高性能にシンクロしてる状態なんですよね。もはやジョブズは過去の人になりつつある。

そんな、アップル無双の本質に迫る本。信者ならずとも楽しめると思います。必読。


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