2026年9月11日金曜日

「オデュッセイア」IMAXで鑑賞。思い出すのは、やはり「2001年宇宙の旅」

 クリストファー・ノーラン監督の「オデュッセイア」、池袋のグランドシネマサンシャインでIMAX先行上映を鑑賞してきました。


鑑賞するにあたり、岩波少年文庫から出ている「オデュッセイア物語」がめちゃめちゃ役に立ったという話はひとつ前のエントリで紹介しました。

ノーラン監督の「オデュッセイア」は、史上初の「全編IMAXカメラで撮影された作品」とのことで、本編3時間すべてがほぼ正方形の「1.43:1」という画角で投影されます。このコンディションで鑑賞できるのは、日本だとグランドシネマサンシャインと、大阪の109シネマズ大阪エキスポシティのみなんです。

これについては、本編の手前にバンドルされている「デューン Part3」の予告編が、IMAXサイズと、上下が黒味になっているビスタ相当サイズの2画角混合になっているので、違いが分かりやすかったですね。

さて、映画の方はと言えば、地中海世界を舞台にした、壮大な旅路を描く物語。それは「冒険」ではなくて、あくまで「帰郷」がテーマ。故郷へ帰る旅の途上で、嵐や災害などの苦難や見知らぬ敵との戦いや、異性からの誘惑などに遭遇するひとりの男の物語です。

内容は、あくまで原作に忠実。あまりにも偉大な古典が下敷ですから、妙な翻案や改変などは許されないでしょう。ただし、本来「オデュッセイア」では詳しく描かれていないトロイの木馬のシークエンスが追加されているのは、観客にとって共感を覚えやすい、過去の学びの記憶が甦りやすい、製作サイドのファインプレイだと思いました。


印象的なのは、主人公のオデュッセウスが、必ずしもヒーロー然と描かれていないことですね。イタケーの国王でありながら、イタケー軍の司令官でもあり、船団の船長でもあるという、例えるならば、中小企業の社長兼・営業部長兼・総務部長みたいな感じでしょうか。時に、判断を誤って部下を命の危険にさらすこともある。だから、部下たちから全幅の信頼を集めているわけでもない、ちょっと中間管理職的な感じのキャラクターでした(実際、トロイア戦争におけるギリシャの総大将はアガメムノーンでした)。

予めストーリーを予習していただけに、「この怪物は何なんだ?」とか、「ここはどんな場所なんだ?」といった驚きは特になく、「なるほど、このキャラはこう描いたのか」というような感心が多い鑑賞体験となりました。逆に、何も予習せずに見た方が、意表をつかれて楽しかったかも知れません。何しろ、古代ギリシャの壮大なファンタジーなので、ある意味、何でもありの世界です。「オデュッセイア」は紀元前700年頃の成立と言われており、キリスト教以前の道徳と価値観が、非常に新鮮でもあります。


鑑賞しながら、ふと気づいたことには「オデュッセイア」は英語では「Odyssey」で、主人公のオデュッセウス役はマット・デーモンが演じています。そして、2016年に日本で公開された「オデッセイ」も、主演がマット・デーモンでした。こちらは、宇宙飛行士が火星を目指す途中で宇宙船のトラブルに遭遇する物語で、「火星の人(The Martian)」というのが原題でしたが、日本の配給会社が「オデッセイ」という邦題をひねり出したんですね。

その結果、2026年のいま、映画「オデュッセイア」の主演俳優がマット・デーモン。映画「オデッセイ」の主演俳優もマット・デーモンという、何ともややこしい状況がジャパン・オンリーで現出しています。

まあ、それはどうでもいい話なんですが、もう一つの発見の方が重大なんです。


私が生涯ベストワン映画だと思っている、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」の原題が「2001 : A Space Odyssey」だという事実を上映中に思い出し、突然前のめりになりました。そうか! キューブリックも「オデュッセイア」を映画にしていたんだよ。

自分の映画鑑賞履歴を、40〜50年も遡って後悔する羽目になりました。これまで、SF映画の金字塔として、また、アーサー・C・クラークの原作小説とのコラボレーション作品として、それなりのリスペクトをもって「2001年宇宙の旅」を鑑賞してきましたが、ホメロスの「オデュッセイア」と関連するコンテンツだという発想はなかった。ホメロスをちゃんと読破してから、「2001年」を見るべきでした。……邦題が「2001年 宇宙のオデュッセイア」だったら良かったのに。

家に帰って書棚をひっくり返し、2018年にAmazonでポチったまま積ん読状態になっていたこんな書籍を読み始めています。


「2001:キューブリック、クラーク」。『2001年』製作ドキュメンタリー・ブックの決定版って帯に書いてあります。少しだけ引用します。

「HAL9000という名の単眼巨人(サイクロプス)を思わせるスーパーコンピュータが、変調を来して、ほとんどの乗組員を殺害する。ただひとり生き残った船長のデイヴ・ボーマンは、そのあとコンピュータと闘って、死に至らしめなければならない。ボウマンという名前はオデュッセウスと関連している。イタケーに戻ったオデュッセウスは、アポロの弓に弦を張り、1本の矢で12挺の斧の柄を射抜いて、自分の妻に求愛した者たちの殺戮を開始するのだ」

ボーマンは、Bowman。弓の男でした。彼は、キューブリックとアーサー・C・クラークにとってのオデュッセウスだったのです!

自分の中で、ノーラン監督とキューブリック監督がループで繋がりました。ループの中央にはホメロスがいました。真の古典は、何世紀を経ても、古典であり続けるんですよ。そして、何度も人の人生に影響を及ぼし続けるんですね。畏れ入りました。

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