2014年4月20日日曜日

世界一小さい財布をアップデートしてみた

過去のエントリで紹介した、世界一小さい財布を愛用しているんですが、愛用しすぎてちょっと痛んできたので、新しいのを買うことにしました。

私が使っているのは、MOJITO(モヒート)という商品で、同じ物を買おうと思ったらすでに販売終了。で、代わりにみつけたのがこれ。


TGTという商品です。ニューヨークのブルックリンにある工房が作っています。売り出しの際には、クラウドファンディングで資金調達したみたいですね。今どきですねえ。


MOJITO(右)と並べてみると、TGTの方がひとまわり小さいことが分かります。TGTの方は底がなくて、帯みたいな感じ。さっそくカードを入れてみましょう。


こちらのシマシマの面は、サポーターみたいなゴム素材です。伸び縮みするので、けっこうたくさんカードが入ります。MOJITO時代は、5枚ぐらいでキツキツだったんですが、今回のは7〜8枚行けそうですね。このゴムの方の面にSuicaを入れます。SuicaはTGTに入れたままで使えます。ここ大事ですね。

それにしても、時代は変わったなと思うのですが(私が変わっただけ?)、10年前、私が使っていた携帯電話と財布の大きさ関係はこんな感じ。


それが今ではこうなってる。立場逆転。ケータイはよりデカく、サイフはより小さく。


何というか、それぞれ大きさは変化していますが、ジーンズのポケットの総占有率はあまり変わってないんじゃないかと。

お札は4つ折りで入れます。まあ5〜6枚ですね。TGTのお値段は34ドル。日本への送料は6.35ドルから。TIGHTSTORE.COMで購入できます。色や柄はいろいろ種類がありますよ。

TGTってのは、tightの略なんですね。封入されていたカードをよく読んでみると、TGTの写真をSNSにアップした人のうち、毎週もっともクールな(tightな)1名に、財布を無料プレゼントだそうです。

ということで、狙って撮ったのがこれ。


サイとサイフ!

お後がよろしいようで。

2014年4月17日木曜日

感涙保証! サッカーを愛する、すべての人に見てもらいたい映画

仕事の関係で、毎月2〜3本のドキュメンタリー映画(長編)を見るんですが、久々にツボにハマった1本をご紹介。


「ネクスト・ゴール! 世界最弱のサッカー代表チーム 0対31からの挑戦」

いやあ、泣けました。泣けるドキュメンタリーとしては、昨年の「シュガーマン」以来って感じ。

南太平洋、米領サモアのサッカー代表チームについてのドキュメンタリーです。FIFAランキング最下位(204位)のチームが、何とかして「国際試合で1勝したい」とストラグルするストーリー。

映画の冒頭のエピソードは実に衝撃的です。米領サモア代表は、国際試合でオーストラリア代表に31対0で敗れるのです。31対0。まさに虐殺的なスコアです。

前節(第7節)のJリーグ(J1)で、全9試合の合計ゴール数が22ですから、1試合でJリーグの全得点を上回るゴールを決められたしまったという代表チーム……。

ゴールキーパーが、右に左に身体を伸ばしてセーブを試みますが、それをあざ笑うかのように次々とボールがゴールに吸い込まれていきます。サッカー知ってる人は分かると思いますが、ゴールを決められるのはキーパーが悪いんじゃなくて、ディフェンスラインが機能していないからです。

オーストラリア以外の相手にも、7対0とか8対0とかで米領サモアは負けています。

ちなみに、ジェフ千葉は湘南に6対0で負けましたけどね。先週。これまたディフェンスラインの問題ですよね。根本的には。

出場する試合、試合でボロ負け。しかも得点が1点も入らない。まさに、世界最弱の代表チームです。

このチームが、ブラジルW杯予選に向け、いかにチームを再構築していくか。いかにFIFAランキング最下位の汚名を返上していくか。そのプロセスと結果が感動を呼ぶと。


映画には、3人の忘れがたいアスリートが登場します。

まず、オーストラリア代表との試合で、31点取られたゴールキーパーのニッキー。

次に、見るからにおオネエキャラ。「第3の性」を持つディフェンダー、ジャイア。

最後に、かつてアヤックスに所属。ヨハン・クライフやジョージ・ベストともプレイした経験のあるオランダ人監督トーマス。

キーパーのニッキーは、「毎晩夢にうなされる」と言います。31被ゴールがトラウマになっているのです。彼は「とにかく1勝したい。そうすれば悪夢から解放され、安心して死ねる」と切実に思っています。

おネエのジャイアは、ルックスもプレイも女子です。女子サッカーのクオリティなので、代表チームで出場機会はないと自認しています。だけど「私はベンチでいいの。ベンチでチームのためにベストを尽くすのよ」とどこまでも前向きです。

オランダ人のトーマス監督は、「代表チームを率いてW杯予選を戦えるチャンスはそうそうない」と米領サモア協会からのオファーに飛びつきます。しかし、赴任してみると、代表チームのあまりのクオリティの低さに呆れかえります。だけど彼は、徐々にチームの魅力にハマっていきます。「このチームは、実にスピリチュアルなチームだ」と。

そして、アメリカのMLS(メジャーリーグ・サッカー)で仕事していたらしく、チームを鼓舞するのが実に上手い。

「お前らがこれから戦うのは、ワールドカップ予選だ! 世界最高の戦いだ! オレはワールドカップの予選に一度たりとも出たことはない。お前ら、自分たちがどんだけ凄いか分かってるか?」的なね。

予告編を貼っておきましょう。



動画が見えない方はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=WnjodVEr8Qo

まあ、とにかくサッカーを愛するすべての人に見て欲しい映画です。ほんと、キャラクターの魅力が素晴らしい。単なる「努力」「友情」「勝利」のストーリーじゃないんですね。

プロデューサーたちは、よくぞこの素材を見つけてドキュメンタリーにしてくれたなと。

願わくば、ジェフ千葉の監督にこのオランダ人監督を呼びたい。マジで呼びたいです。署名運動やろうかな。

「ネクスト・ゴール! 世界最弱のサッカー代表チーム 0対31からの挑戦」は、5月17日から公開です。

2014年4月14日月曜日

スティーブ・ジョブズの料理人

前回「英国一家、日本を食べる」という本の感想を書きました。

そのエントリで言及した大阪ダービーは2-2の引き分け。フォルランが2ゴールを挙げました。そして、翌日行われた我らがジェフ千葉のホームゲームは、湘南相手に0-6という屈辱的敗戦。OMG...どうにか気を取り直して、本エントリを書いています。

奇しくも、連チャンで和食関連の書物のご紹介。この本がまた、実に面白かった。

今回紹介するのは「ジョブズの料理人」という本。ちょっとあざといタイトルですよね。版元は日経BP社。


主人公は、スティーブ・ジョブズの専属料理人だったわけではなく、シリコンバレーで26年にわたって本格的な日本料理屋を経営していた板さん、佐久間俊雄。ジョブズは、その店の常連客として通っていたという関係。本書は、佐久間さん夫妻による回顧録です。

佐久間さんは福島県生まれ。中学を出て上京し、寿司屋で修行の道に入ります。知人に誘われ、79年にハワイに渡り板前に。そこで知り合った奥さんと82年にサンフランシスコへ移ります。85年には、シリコンバレーで「SUSHIYA」という自分の店をオープンします。

最初は四半世紀以上前の1985年に開いた「スシヤ(鮨家)」という屋号の寿司屋で、スタンフォード大学にほど近いパロアルト市の目抜き通り、ユニバーシティ・アベニューに面していた。シリコンバレーの一等地ではあったものの、間口はわずか3メートルと狭く、カウンター席と3つのテーブルだけしかないウナギの寝床のような細長い店だった。
この店が当たり、94年に高値で売却。ひとまわり大きな「TOSHI’S SUSHIYA」を新装オープンします。スティーブ・ジョブズも、アップルに復帰した97年以降、この店の常連のひとりになりました。

ジョブズは当初、お新香巻きやかっぱ巻き、梅しそ巻きなどの野菜系巻物しか食べませんでしたが、やがて生魚にも手を出すようになり、トロ5貫、サーモン5貫というように、好きなネタばかりを大人買いする傾向があったと書いてあります。

しかしこれは、決してジョブズが偏食だったことを言いたいわけではなく(実際、かなりの偏食だったみたいですが)、当時の北米西海岸での鮮魚の流通事情とも関係がありました。

80年代、アメリカ西海岸における日本料理といえば、寿司、天ぷら、照り焼き、すき焼きが四大定番メニューだったそうです。中でも人気があったのが天ぷらと照り焼きで、寿司はアペタイザー的な扱い。というのも、主要な寿司ネタは冷凍で、鮮度のいい白身魚は流通していなかった。

結局、店で使いやすいのはマグロとサーモンということになる。特に米国ではもともとサーモンを食べる習慣があり、価格も手ごろだった。日本ではサーモンが寿司ネタという意識はなかったが、旬になるといい具合に脂がのり、味も申し分なかった。現在でも、米国では寿司ネタの中でサーモンが人気一、二を争う人気を集めているのは、こうした事情に負うところが大きいようだ。
やはり冷凍ものだと寿司ネタとしては厳しくて、ジョブズも手をつけない。しかし、やがて日本から進出していった水産会社が全米各地を回り、寿司ネタとして使える魚が増えていったんだそうです。
東海岸の海流で身が引き締められたヒラメ、ボストンの甘エビ、カリフォルニアのウニに加え、アラスカからもカニやエビなどが入ってくるようになった。

ボストンのエビは富山沖の南蛮エビと似た食感で、甘くておいしい。カリフォルニアのウニは見た目も鮮やかで、トロリとした食感が魅力だ。
いいですねえ。先人の頑張りで、北米大陸でも徐々にまともな寿司が食べられるようになっていったんですねえ。

ところが90年代、ニューヨークにNOBU(ロバート・デ・ニーロらが経営)が開店すると、日本料理も転換期を迎えます。西海岸では、キャタピラーロール、カリフォルニアロールなど、韓国人や中国人、日系人による独創的な料理が発明されて大衆の人気を博し、TOSHI’S SUSHIYAも、その波に飲まれそうになってしまいます。

「なぜ(ファンシーロールが)できないんだ?」
「当店では伝統的な寿司をお出しするというポリシーで……」
「でも、客の欲しいというものを出すべきだろう」
そんな、間違ったスシブームに違和感を覚えた筆者は、「寿司以外の和食も知って欲しい」「天ぷらや寿司だけが和食ではない」との思いから、シリコンバレーに初の会席料理店「桂月」をオープンするのです。

ジョブズは、自邸のシェフを佐久間さんの店に通わせて、出汁の取り方を学ばせたり、ランチタイムを週一回貸切りにしたりと、この店に深くコミットしていきます。アップルの役員たちとのディナー会場になることもありました。アル・ゴアやエリック・シュミットらもこの店を訪れています。

IT企業のエグゼクティブから喝采を浴びる一方、多民族国家アメリカならではの試練もあります。

米国ならではの問題もあった。アレルギーと宗教だ。

(中略)。会席料理には生麩を使うことが多いが、グルテンが問題になるお客さまが意外にも多い。ナッツ、小麦などアレルギーの原因となる食材はどんどん増えている印象だった。こういう場合は、限られた仕入れの中で代替を考えなければならず、一苦労だった。

もうひとつの宗教はさらに複雑だった。シリコンバレーではインド系のお客さまが多く、ヒンズー教徒は牛肉を口にしない。イスラム教徒は豚肉が禁忌で、必ずしも宗教に起因するものではないが、ベジタリアンのお客さまもいる。

シリコンバレーではユダヤ教のお客さまも少なくないが、彼らはうろこがない魚を食べない。ウナギ、穴子、エビといった食材を出すことができず、ハモも使いたいがダメだ。カニを食材として使う際も通常なら本物のカニ肉を使う方が上等とされるが、ユダヤ教のお客さまには白身魚を原料とするカニ風味かまぼこの方が好都合だった。
実に面白い。昨年、ニューヨークに行った際に「Gluten Free」の表記はよく見かけたし、インドもイスラエルも行ったことがありますが、食事の制限が日本人からは信じられないほど細かくルール化されています。

ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、ベジタリアン、ノングルテン、etc。そんな人種のるつぼで会席料理だなんて、ハードル高すぎです。カニがNGでカニカマがOKだなんて、素敵すぎるよユダヤ人(ユダヤ教徒は、海底に生息する生物は食べないんですよね。貝とか海老もNGなんですよ。なんてプライドの高い人たち)!

ジョブズは、家族以外では、ジョナサン・アイブと一緒に来ることが多かったそうです。2011年の10月5日にジョブズは亡くなり、2日後の10月7日に、桂月は閉店しています。


Yelpで調べてみると、閉店から2年半たった今も、この「桂月(Kaygetsu)」の情報は載っています。ユーザーの★評価は5つ星がほとんど。愛されていた店だということが分かります。




Kindle版もあります。冒頭にもちょっと書きましたが、「ジョブズの料理人」というタイトルはちょっとあざといんです。だけど、北米における和食の普及の歴史を知る意味において、非常に有意義な一冊であることは間違いありません。これを読んでおけば、アメリカに旅行して日本食が食べたくなった時など、オーダーで失敗しなくなると思いますよ。

2014年4月10日木曜日

英国一家、日本を食べる

久々に本のご紹介。日本料理の深遠なる世界に英国人が感嘆するという、日本人の愛国心をくすぐる1冊です。



「英国一家、日本を食べる」マイケル・ブース著、寺西のぶ子訳

ル・コルドン・ブルーで料理を学んだ英国人の筆者(トラベル・ジャーナリスト)が、妻と子ども2人の4人で、北海道から沖縄まで3カ月にわたって日本料理を食べまくった記録です。

彼が日本を訪れるきっかけは、料理仲間の友人から一冊の本をプレゼントされたこと。以下引用。


その本は、1980年に出版された、辻静雄の「Japanese Cooking : A Simple Art」の新装版だった。「Gourmet」誌の編集者、ルース・レイシュルと、アメリカの伝説的なフードライター、故M・F・K・フィッシャーが序文を書いているのを見れば、これはありきたりの料理本でないとすぐにわかる。 
辻静雄とは、辻調理師学校の創設者です。この本に心を奪われてしまったマイケル・ブースは、衝動的に日本行きを決めてしまうのです。そして、日本での食べ歩きの一部始終を一冊の本にまとめたと。

最初は、日本のことを軽くバカにしていた筆者が、日本に来ていろんなものを食べ歩くほどに、その魅力にズブズブにはまっていく様子が読んでいてなかなか楽しいんですね。焼き鳥、ちゃんこ、天ぷら、カニ、ラーメン、寿司、etc。

この本を読むと、日本食が、いや、日本人の食の嗜好が再発見できます。例えば、筆者が札幌でカニを食べたあとのこの記述。


その後数週間、僕は奇妙な感覚に襲われ続けた。北海道から南へ向かって移動するにつれて、北海道のカニが恋しくなったのだ。列車のなかで、飛行機のなかで、頭にはあのとらえ難い風味がよみがえった。その風味の大部分を占めるのは食感で、生のカニ身の半分液体で半分固体の不思議な味わいは、舌の上で余韻を楽しもうにも、早々にかき消されてしまう。こういうことからも、日本人の食感に対する意識が異常なほど洗練されていることがはっきりとわかる。 
日本人は口に入れた食べ物の舌触りを味と同じように重視し、料理の温度についてはさほどではないものの(なにしろ、温かい料理はやけどするほど熱々にするのが、デフォルト設定だから)、食感についてはとてもきめ細かいニュアンスを大切にする。


確かに仰るとおりですよね。生のカニを食べる機会はあんまりないと思いますが、ゆでたカニの足はぷりぷりで実に美味い。思えば、この「ぷり×2」的な言葉って、日本語にはたくさんありますよねえ。「さくさく」「しゃきしゃき」「ふわふわ」「かりかり」「ぱりぱり」「つるつる」「しこしこ」……。うーんお腹すいてきた。他の言語は分かりませんが、「食感についてのきめ細かいニュアンス」を表現する言葉は、日本語には確かに多い。

料理の温度についてもご明察です。確かに汁物は熱々じゃないと許せないですよね。東南アジアなんかに行って麺を注文すると、出てきた麺のスープがぬるいケースって意外に多い。韓国で朝食にお粥食べに行ったら、出てきたお粥がヌルくてがっかりしたことを思い出しました。熱々を好むのって、日本人だけなのか?

筆者一家の、大阪を訪れた時のエピソードも実に興味深いものがあります。大阪編の冒頭の、「大阪に関するトリビア」がふるっています。


次の大阪に関するトリビアのなかで正しいのはどれか? 間違っているのはどれか?

1. 大阪の回転寿司のベルトコンベアーは、東京の回転寿司よりも40%早く回っている。
2. 大阪人が歩く速さは秒速1.6メートルで、東京人の秒速1.54メートルを凌いで世界一だ。
3. 大阪の交通機関の券売機の硬貨投入口は日本一大きく、硬貨をすばやく入れることができる。
4. 大阪人の普段のあいさつは、「もうかりまっか?」である。
5. 大阪では、エスカレーターに乗るときに右側に立つのが慣わしだが、大阪以外では左側に立つ。
6. 世界最速のファストフードは、大阪で生まれた。
7. 大阪のGDPは、スイスとほぼ同じである。



答え:すべて正しい。

余談ですが、この本を読んで無性に大阪に行きたくなり、週末のホテルの空きを調べたところ、全然空いてない。 

「何で?」ってことで、よっぽど大きなイベントがあるんじゃないかと気になって調べてみたら、ひとつ思い当たるふしが。


これです。セレッソ大阪対ガンバ大阪。大阪ダービーです。なんと、全サイト、全券種がソールドアウト。

前売りで長居のチケットが完売したのって、初めてだそうです。Jリーグの試合では。全国のセレ女が大集合して、試合見たあとにお好み焼き食べて大阪に泊まるんでしょうか???

ま、大阪ダービーとホテルの混雑の因果関係について、本当のところは分かりませんが、今週は大阪行きは諦めて、テレビでダービー観戦ですね。

話を戻します。

日本の食べ歩きを終えて、パリ(英国人だが、パリ在住)に帰った著者に、辻の本を渡した友人が言った言葉を紹介して、本エントリを締めることにしましょう。


「もうひとつある。覚えとけ。『ごちそうさまでした』って言うんだ。 
僕はおうむ返しに言ってみた。「ごちそうさまでした。それ、何だい? 白人には料理ができないっていう意味?」 
「仏教から生まれた言葉で、食べ物を収穫する人や料理をしてくれる人に感謝するという意味だ。今度から、食事のたびに言えよ」




この本、版元の亜紀書房のWebサイト見たら、何と13刷だそうです。



筆者の旅のきっかけになった本もAmazonで購入可能。こちらは英語版です。



2014年4月8日火曜日

ホーチミン燃ゆ 狂乱のドンコイ通り

ちょっと昔の旅行記をアップします。かつてミクシィに投稿していたのを、今日偶然みつけまして。軽くリライト。

2008年12月28日、アンコールワットを目指す私たちはベトナムのホーチミンにいました。

マジェスティック・ホテルに投宿したところ、開高健が泊まった部屋がアサインされました。部屋に開高健の写真飾ってあってビビったw

翌日朝の便で、シェムリアップへと飛ぶ旅程です。ホーチミンは1泊だけ。

夕食を終えて、夜景でも見ながらカクテルなど啜ろうとカラベルホテルにあるバーのオープンテラス席に陣取ったのは、8時半を少し過ぎた頃でした。テラスから見おろすドンコイ通りに、心なしか活気がないように感じられるのは、日曜の夜だからだとばかり思っていました。


ところが、活気がないというのは甚だ不正確で、この時点で町はゴーストタウンのように静まり返っていたのです。上の写真の通り、車もまばら。

実はホーチミンの人々には、町に出られない理由があったんです。

私たちは、何も事情を知らずグラスを傾けていました。

すると、時計が8時55分を指した頃、突如町中から「ウォー!」という咆哮が。間髪いれず、私たちのいるバーでも歓声が轟きました。

町全体にスイッチが入った瞬間です。


たちまち、ドンコイ通りにはクラクションをけたたましく鳴らしまくるオートバイの洪水が押し寄せてきました。


オートバイの後部座席にいる者は、皆ベトナム国旗を振りかざしています。


何なの何なの? いったい、何が起きたの? 革命でも起こったの?

そのオートバイの洪水からは、殺気だった雰囲気はありません。むしろ、祝祭感がみなぎっています。


バーの人だかりの視線の先を見て、すべて理解できました。

サッカーです。ベトナム代表が、サッカーの試合に勝ったんです。

正確には引き分けでした。

テレビには「VIETNAM 1 - 1 THAILAND」の文字がデカデカと映され、次の瞬間、代表チームの監督と思しき外国人が胴上げされていました。

これは「スズキカップ」という大会で、東南アジアナンバーワンを決めるべく、2年に一度開催されているものだそうです。

ベトナムは、このスズキカップに初優勝したんです。ベトナムサッカー史に刻まれる、歴史的快挙ですね。そりゃあ町中がひっくり返ったような大騒ぎにもなるよね。

もう、ホーチミンの町は完全にお祭りです。国旗の数がどんどん増えています。道ばたで旗を売るおばさんまで現れた。

私たちも町へ繰り出します。


試合そのものはハノイのスタジアムで行われたようで、ハノイの町はもっと凄かったようです。翌日の新聞に、死者が出たって報道されてた。

FIFAランキング155位(当時)のベトナムが、一気にサッカーバカ先進国の仲間入りを果たした瞬間ですね。

この優勝の立役者が、昨年コンサドーレ札幌にいたレ・コン・ビンだそうです。もう退団してベトナムに帰っちゃったんですね。

さてと、今年はブラジルにワールドカップでも見に行こうかな。