2016年7月31日日曜日

次のロシア旅行のための覚え書き・モスクワ編

初ロシアでした。おもにモスクワとサンクトペテルブルクについて、これまでの旅行記に書きそびれたあれこれを箇条書きでまとめます。

・ロシア連邦保安庁、FSB(旧KGB)の本部は、モスクワのルビヤンカというエリアにある。この建物には、表札もなければ看板もない。だけど、誰もがFSBだと知っている。


・7月、モスクワは毎日かならず雨が降る。スコール的な強い雨が。出かける時は、折りたたみの傘をもっていた方がいい。私たちがモスクワにいる時も毎日、小一時間ほどヒドい雨に見舞われた。落雷で亡くなった人もいた(ニュースで知った)。

・ロシア人のほとんどは、週末を郊外のダーチャ(簡素な別荘)で過ごす。だから、週末は街中は空いている。ダーチャにはたいてい菜園があって、ニンジンやジャガイモなどの野菜を作っている。


・モスクワっ子の50〜60%がダーチャを所有しているそうだ。これは帰りの飛行機でモスクワ上空から撮った写真。低層の家屋が密集しているのがダーチャエリア。ソ連時代、人民は都心のアパートメントと、郊外のダーチャを支給されたそう。


・我々のモスクワのガイド氏(58歳)は、ソ連時代を「それなりにいい時代だった」として懐かしがっていた。だけど、後にサンクトペテルブルクで世話になったパーシャという30歳のガイドは、自分はダーチャ持ってないし、ソ連時代の記憶もないから「何のノスタルジーもない」とはっきり言ってた。ロシアにおける世代の断絶は、我々日本人には知り得ないほど大きいのだろう。

・ロシア人にとってポピュラーな海外旅行先は、エジプトとトルコ。ただし、エジプトといってもカイロとかじゃなくて、紅海に面したシャルム・エル・シェイクというビーチリゾートだ。トルコにしても、イスタンブールなんかじゃなくて、ポドルムとかアンタルヤあたりだろう。

・そういえば、2015年10月にエジプト発のロシアの旅客機がISのテロで墜落させられた事件があったが、あれはまさにシャルム・エル・シェイク発サンクトペテルブルク行きの便であった。


・モスクワ大学。典型的なスターリン様式のゴシック建築。モスクワ大学の他に、ソ連運輸建設国家委員会、文化人アパート、芸術家アパート、ホテル・レニングラード、ロシア外務省、ホテル・ウクライナが有名で、これらは「セブンシスターズ」と呼ばれている。いつか制覇しなくちゃ。

・モスクワに、ユニクロは3軒ある(エラく高い)、アップルストアはまだ1軒もない。

・ガイド氏曰く、ロシア人は、みんなが思っているほどウォッカをたくさん飲むわけじゃない。

・ロシア人は、ロシアンティーは飲まない。日本におけるロシアンティーは、スグリジャムがはいった紅茶だが、そんなものはロシアでは(モスクワでは)誰も飲んでない。

・ロシアのボルシチは、赤くて酸っぱい。日本のロシア料理店のボルシチとは全然違う。サワークリームを浮かべて食べるととっても美味しいよ。


・ロシアにおけるポータルサイトは、圧倒的にYandex。日本におけるYahoo!みたいな存在。FacebookよりもポピュラーなSNSは、vk.com。

・モスクワとサンペテには、Uber(ロシアでの発音はウーベル)も走ってる。あと、GettTaxi、Yandex Taxiの3つ巴のシェア争い。


・モスクワにも、自転車のライドシェアがある。使っている人はあまりいない。

日本語ガイドは、モスクワに30〜40人。サンペテが20人ぐらい。みんな日本語がお上手。驚く。 


そして今回のロシア旅行は、2018年に開催されるサッカーW杯ロシア大会のロケハンの意味もありました。

・ワールドカップは11都市で行われる。中部のエカテリンブルクが一番東の開催都市、リトアニアの向こう側にある飛び地、カリーニングラードが一番西の開催都市。


・この地図はWikipediaから拝借したものだが、これ見る限り移動がメチャメチャ大変そう。我々も、モスクワ→サンペテで4時間半、サンペテ→ペトロザボーツクで5時間という鉄道の旅を連チャンでやって、けっこうヘロヘロになってるし。

・あと、ビザの問題が重たい。W杯期間中はビザなしで渡航できるようにするとプーチンは言ってるが、そんなことしたらテロリストとかフーリガンがわんさかやってくるからね。どうすんだろ。落としどころは、W杯出場国のサポーターのみビザなしとか?


ま、そんなことよりも最大の問題は、日本代表が出られるかどうか。そこに尽きるんだけどね。

2016年7月29日金曜日

白夜なう ペテルブルクの 夜はふけない

キジ島から戻り、サンクトペテルブルクでの滞在(=ロシアでの滞在)はあと2泊。

最終日前日はピョートル宮殿、続いてエカテリーナ宮殿を訪れますが、ここら辺はサクっといきます。


相変わらず天気が悪いし、エルミタージュの後だと感動も今一歩なんですよね。

例によって、どこに行ってもロッツ・オブ・チャイニーズ。


面白かったのは、お宝を疎開させた話。エカテリーナ宮殿は第2次大戦時の空襲で甚大な被害を受けたのですが、スターリンは空襲を予測して、予め絵画や彫刻の大部分をシベリア鉄道でシベリアに疎開させたんだそうです。

戦争が終わり、美術品はシベリアから戻ってきます。しかしエカテリーナ宮殿が損壊していたため、エルミタージュに移送されてしまった。で、長年かかってエカテリーナ宮殿の復旧が完了したにも関わらず、美術品はそのままエルミタージュに留まっている。エカテリーナ宮殿の館長は「戻してくれよ」と懇願しているのに、エルミタージュ側はシカト状態なんだとか。



大黒屋光太夫が女王に謁見したという部屋も見学しました。

宮殿については以上です。

翌日、最終日は終日フリーの予定。さあどこに行こう。ガイドとドライバーは一応キープしてあります。

晴天に恵まれたので、午前中は運河をクルーズすることにしました。町中に張り巡らされた運河からネヴァ川に抜けるコースをクルーズします。


なんと、エルミタージュ美術館の敷地内にも運河は通っており、船はその渡り廊下をくぐってクルーズしていきます。オモロいなあ。

クルーズを終えると、ガイドさんが「ドストエフスキーのお墓に興味がありますか?」と聞くので、「あるある。是非行こう」とチフヴィン墓地へ。

この墓地はこじんまりしていて、ロシア正教色が非常に強い墓地でした。しかも園内の植物はキレイに整えられていて、草ボウボウだったモスクワの墓地とは全然佇まいが違います。入場料も必要なので、中国人はいません。実に静謐な雰囲気。


ドストエフスキー(写真)やムソルグスキーの墓を見て、ホテルに帰ります。ガイドもドライバーもこの時点でリリースしましょう。お世話になりました。

そして夕方、前日に予約してあった、サンペテ名物のルーフトップツアーの待ち合わせ場所に向かいます。待ち合わせ場所に着くと、またしてもドストエフスキーw


建物の屋上を徒歩で歩き回るこのツアーは、知る人ぞ知るエクスカージョン。ホテルのコンシェルジュに頼んだら「提携していないから」ということで予約ができませんでした。なので、自力でネット予約。

当日、5時の集合時間の15分前にツアーの主催者から電話がかかってきました。

「ちょっと今、私の他に英語のできるガイドが手配できてないんだけど、今どこにいる?」

「もう待ち合わせ場所にいるよ」

「そうなの。うーん。5時半まで待てるかな。今、私は他のツアーの最中で……。最悪、英語できないガイドでもいい?」

「うん、いいよ。屋根上って歩き回るだけでしょ」

「OK。また電話する」

……当初の待ち合わせ時間、5時を回っても電話はありません。けっこういい加減です。


この日は、7時にゴーゴリというレストランを予約していたので、ルーフトップツアーの終了が遅れてしまうと、夕食に影響が出てしまいます。こちらからツアーガイドに電話をかけ、何度かやりとりした結果、ツアーをキャンセルすることにしました。楽しみにしていたのに残念だなあ。ブルーナイルの「♪A Walk Across the Rooftops」も準備してたのに。

気を取り直し、ゴーゴリで最後のディナーです。キャビア、いっちゃいましょう! いまキャビアは高いんですよ。お土産用のも一缶1万円ぐらいしてました。


食事しながら、キャンセルした屋根歩きの埋め合わせについて夫婦で相談しているうち、妙案が飛び出しました。

「そうだ、ルーフトップツアーがあるくらいだから、ルーフトップバーがあるかも」

「それはいい!」

早速ググってみると、ゴーゴリから徒歩10分圏内に「W」というホテルがあり、そのルーフトップバーがなかなかヒップな感じです。ダバイ!ダバイ!

夕食を終え、やって来ました、Wに。デカした、W。


わーお。シャンパン飲みながらまったりできるし、ルーフトップツアーよりこっちの方が全然いいじゃん。

サンペテのオサレ女子やカップルたちが続々やってきます。遠くで花火も上がってますよ。このバーは超絶オススメです。もちろん、晴天の日限定ですが。

こうして、ロシアにおける最後の夜は更けていきました……。


……いや、全然更けないんです。白夜なんですよ。アプリでは22:14に日没ってなってますが、マジックアワーが延々続く。

明るいので、町には若者たちがどんどん繰り出してきます。この時期、街灯に火がともることはありません。バンドの演奏があちこちで始まり、何だかみんな楽しそうです。ひょっとしてこいつら、朝まで騒いでんのか?


しかしこれ、体内時計がムチャクチャになるよね。いい加減ホテル帰って、カーテンびっちり閉めて、無理矢理寝ようっと。

2016年7月28日木曜日

キジ島の 木の教会は リフォーム中

さて、この度のロシア旅行にあたり、是非とも訪れたかったのがキジ島です。

キジがたくさん生息する島じゃないですよ。ロシア正教の木造の教会群で知られる、ロシア有数の聖地です。


場所はここら辺。けっこう北ですね。

サンクトペテルブルクから電車に乗って5時間、ペトロザボーツクという町に一泊し、翌朝キジ島に上陸するプラン。

我々は18時発の電車に乗ったのですが、ペトロザボーツク到着予定は23時。


電車はシーメンスの真新しい車両です。

なんですが、我々の乗った2等の座席はリクライニング機能ナシ。あと、食堂車もナシ。車内販売でサンドイッチとコーヒーを買って夕食にしたのですが、座席にテーブルがナシ。コーヒーを太ももでに挟んでサンドイッチを食べるというなかなかデンジャラスなシチュエーションでした。

ちなみに、この日はEURO2016の準決勝、ポルトガル対ウェールズがあったのですが、ロシアでの中継開始時間は22時。試合終了は23時45分ぐらいですね。終わりのあたりがギリギリ見られるかも。

ペトロザボーツクには、ほぼ予定通り到着しました。23時ちょい過ぎ。それでこの明るさ。


ホテルに移動して、ガイドと翌日の打ち合わせをし、チェックインしてテレビをつけたら、ちょうど試合が終了したところでした。OMG。

せっかくいい時間帯にEUROの生中継が見られるというのに、何とも残念です。日本だと朝4時起きでしたから。

翌朝は8時半出発。ホテルで朝食を摂ってて驚いたことには、レストランに黒人の宿泊客がたくさん(10人ぐらい)いたことです。なんだなんだ? ロシアで黒人の団体に遭遇するとは意外です。

食事の帰りのエレベーターで遭遇した黒人に「どこから来たの?」と聞いたら「ボツワナ。アフリカのね」との答え。ボツワナからキジ島観光ってどういう由来なんでしょ。不思議すぎる。


さて、ペトロザボーツクからキジ島へは高速船で1時間半ほど。港のカフェでランチボックスをピックアップして、船に乗ります。

船はオネガ湖をひた走ります。キジ島はオネガ湖に浮かぶ島。幸いなことに、雨は降っていません。雲はブ厚いですが、島に近づくにつれて青空が顔を覗かせてきます。

到着しました。ペトロザボーツクからガイド嬢も帯同していますが、キジ島でさらに現地ガイドが合流します。彼女たちは日本語は話せず、英語で説明してくれます。


島は全長7キロ、幅が500メートルという細長い島です。島内に車は走っておらず、観光も徒歩(あるいは自転車)です。

そしてキジ島における最重要事項は「島にはヘビが多いので、順路をハミ出して草むらには絶対に入らないように」というものです。おおコワ。

5分ほど歩くと、見えてきました。プレオブラジェンスカヤ教会が。これが島のメインの教会ですね。釘を一本も使ってないという。17世紀に建立され、一度落雷によって消失し、1714年に再建された。


……あれ、何か足場が組んであるぞ。ビニールも貼ってある。修復中なのかな?

ガイド嬢が言うには、建材の木が傷むので、この教会は70年(17年?)に一度リフレッシュするんだそうです。伊勢神宮みたいね。


確かに、中央部分から下にあるアラビアっぽい屋根部分だけが、真新しく金色に輝いています。それ以外の部分は鈍色です。

修復中につき、中に入ることもできません。


こちらは隣にあるポクローフスカヤ教会。こっちは中に入ることが可能でした。

イコンが素晴らしい。団体客がやってきて、熱心にお祈りしています。


この島は、ある種のテーマパークですね。スローな宗教テーマパーク。パワースポット感はあんまりない。その代わり実にのどかな空気が流れていて、神との対話も腰を据えて存分にできそう。

この小さな教会では、聖職者が鐘楼でたくさんの鐘を鳴らして楽曲を演奏するというパフォーマンスに遭遇しました。


ランチボックスは、サンドイッチとゆで卵とヨーグルトドリンク。教会のそばにベンチはありますが日陰がなく、かといって教会の中で飲食するのはNGなので、お昼時の直射日光を浴びながらのなかなかタフなランチとなりました。

滞在はおよそ3時間。若干時間を持てあまし気味ですが、天気が良かったせいか、早く帰りたい気分にはなりません。遠くに風車が見えますね。


帰りの船を待つ間、港付近のカフェにコーヒーを飲みにいったら、朝、ホテルであったボツワナ人のグループがいました。アフリカ人は、強い日差しなどお構いなしで陽気におしゃべりしています。

船でペトロザボーツクの港に戻ると、ドライバーが「雨はふらなかったか? こっちはドシャ降りだったぞ」と。

「キジ島は神のいる島なので、天気には恵まれると思いますよ」という、サンペテのガイド君パーシャの言葉を思い出しました。

ペトロザボーツクを18時に出発する電車で、サンペテに帰ります。到着したのが23時。またしてもEUROの準決勝(フランス対ドイツ)は見ることはできませんでした。ガックシ。

しかし連日の5時間ノーリクライニングの鉄道旅はきっついなあ。

ところでロシアの鉄道は完全指定席です。自由席なんかないし、乗車する時にはパスポートが必要です。「ぶらり途中下車の旅」とか成立し得ない雰囲気。

そんなこんなで、ロシア旅行もあと残り2日。



2016年7月26日火曜日

船がきた エルミタージュに スリ5人

昨日に続き、今日も雨です。ある意味、雨の日は美術館観光にはうってつけだよなってことで自分を納得させます。


朝10時過ぎ、エルミタージュに着いてみるともの凄い行列が。チケット買うのに2時間、そこから入場するのにさらに1時間って感じらしい。それじゃあ若冲展じゃないの。ロシアまで来て若冲展の行列苦なんてあり得ないよー。私、東京の若冲展はパスしましたから。

しかしウチらのガイド、パーシャは「ちょっと待っててください」と言い残すと群衆をかき分けて別の若い男(ガイド仲間らしい)に近づき、その男と何か一言二言話すと、男からチケットを受け取って戻ってきました。

「はい、お待たせしました。このチケットで入れます」

パーシャ、ナイスガイすぎる。まあでも、それが仕事だもんね。

エルミタージュのエントランスはとても不案内です。入り口が2つあるのですが、どっちが何の入り口なのか書いてない。あとでパーシャに聞くと、正面入り口が一般客用で、正面から右側にある入り口が、団体ツアー専用入り口なんだそう。


我々が正面入り口に向かっていると、日本人の家族が追いかけてきてパーシャに質問を浴びせます。

「ちょっと教えてください!インターネットでEチケットを買ったんですが、どこから入ればいいですか?」

「Eチケットは、向こうのカウンターで入場チケットに交換しなくてはなりません。私がご案内しましょう」

「ありがとうございます!ありがとうございます!」

実は、エルミタージュにあまり並ばずに入場する裏技は、このEチケットの他にもうひとつあって、それは自動券売機を利用する方法です。正面入り口のチケット売り場の裏手に自販機があって、そこなら4〜5人しか並んでいません。何でみんな自販機使わないんだろってぐらい空いているんですよ。

エルミタージュは10時半から開場します。この日は2時間半ほどでおいしいところをつまみ食い作戦。


金ぴかの豪華絢爛な舞踏室とか、謁見の間とか、エカテリーナの寝室とか、マイセン焼きの暖炉とか、黄金の孔雀が時を告げるカラクリ時計とかを駆け足で眺め、ひときわ観客の多い部屋にたどり着きました。


そこでガイドのパーシャくんがボソり。

「この部屋にスリが5人いますね。そのうち2人は女性です」

キタキタ! イタリアから出稼ぎのスリ団か。

「それどれ? どの人がスリ?」

「もし、彼らが近くに来たら、顔を教えますよ」

このひときわ観客の多い部屋は、イタリアがテーマのホールです。イタリアホールにイタリアスリ団w


なんと、ダ・ヴィンチが2枚ありました。「リッタの聖母」と、「ブノワの聖母」です。

ダ・ヴィンチの隣の部屋には、ラファエロが2点ありました。

イタリアホールはごった返しているんですが、その混雑は、中国人ツアー客の他に、豪華客船の下船客がどっちゃり訪れている影響とのこと。前日サンペテ港に着いた、3500人乗りの豪華客船から来た客だと。

さらに大きな5000人規模の客船が入港することもあり、サンペテの観光施設の混雑具合は、この客船から来る客の影響をモロに受けるんですね。スリも書き入れ時だわな。

船が来る前日はエルミタージュもガラガラだったとか言ってるので、豪華客船のスケジュールを把握してからエルミタージュに行く日を決めるってのが、もっともスマートなやり方かも知れませんね。

さて、一連の絵画群のなかで私が気に入ったのは、これですね。


ペルジーノの聖セバスティアヌス。サン・セバスチャンか!

矢が刺さって、キョトンとするの図w

よく見ると、刺さった細身の矢にペルジーノの署名があります。ヤルじゃん。広告代理店の仕事みたいです。

あとこれこれ、レンブラント。「放蕩息子の帰還」


レンブラント晩年の代表作です。英題は「Return of the Prodigal Son」。ドラマを感じますねぇ。客が群がってます。この絵は貸し出ししてないそうです。エルミタージュにレンブラントは24枚あります。

さすがです、エルミタージュ。美術史に燦然と輝く巨匠の作品がゴロゴロ転がっています。

そうそう、転がっていたといえばこれ。


ミケランジェロの未完の彫刻「うずくまる少年」です。未完のままヴァチカンだかどこかに放っぽられていたのを、大帝が買ってきたとか。

今回は行きませんでしたが、エルミタージュには別館もあって、そっちには印象派の絵画がたんまりあるそうです。マネとかモネとかセザンヌとかゴーギャンとか。

そもそもエルミタージュには300万点のコレクションがあり、うち100万点は倉庫で眠っているんだそうです。うーむ。全部見るには2年半かかるとガイドのパーシャが申しております。

我々はたったの2時間半でしたが、それでもかなりお腹いっぱい。ベルサイユ宮殿→ルーブル美術館とハシゴしたような気分。ここには、またいつか戻ってこよう。もっとお客が少ない時に。

結局、スリの顔は教えてもらえなかったなぁ。何も盗られなくて良かったけど。

大混雑のエルミタージュを脱出すると、入場待ちの行列はさらに凄いことに。雨の中、ご苦労さまです。

明日は、木造の正教会が聳えるキジ島へ向かいます。



2016年7月25日月曜日

犬吠える 列車に揺られ サンペテへ

ロシア旅行記6本目。

今日は、モスクワのサンクトペテルブルク駅から(ロシアの鉄道は駅名が目的地。ややこしい)、サプサン号という高速鉄道に乗ってサンクトペテルブルクに向かいます。我々の座席のひとつ隣の座席に、犬のマークが見えました。どうやら、この電車はペット同伴可能みたいです。


我々の直後の席でポメラニアン3匹が吠えまくり、それに呼応するように遠くで赤ん坊が泣きじゃくるという、何かの罰ゲームのような4時間半を何とか乗り切ってサンクトペテルブルクに到着して唖然。

「半袖、オレひとりじゃん」

寒いんです。ダウン着ている人もいます。今朝までいたモスクワが30度。サンクトペテルブルクは16度。しかも雨。聞いてねえよ〜。明日はユニクロだな。


駅で、新しいガイドのパーシャくんと合流します(写真は無関係)。

パーシャはまだ30歳で、ノリが軽い。文豪カフェで、ボルシチすすりながら、パーシャに質問してみました。

「サンクトペテルブルクって名前、長くて言いにくいよね。ロシア人は何て呼んでるの?」

25年前、私が6歳の時に町の名前がレニングラードからサンクトペテルブルクに変わりました。レニングラードの前はペトログラードでした。でも、元々の名前はドイツ風に『ブルク』を使ったサンクトペテルブルクでした。確かに長いので、ロシアの人は単にペテルブルクと言います。最近はピーテル (Питер)という愛称も普及しています」

「なるほど」

「若い人を中心に、SPB(ロシア語だとСПБ)というのも使いますよ」

「ふーん、そうなんだ。日本だったら『サンペテ』って略すとこだな」 

「さん……ぺて?」

「そうだよ。ポケットモンスターはポケモンでしょ。モンスターストライクはモンストだし。野球の前田健太はマエケン」

「……」

「ググってみると、サンペテって言ってる人けっこういるよ。よし、今日からサンクトペテルブルクは、サンペテな」

「……」



サンペテには、立派な正教の教会がたくさんあります。こちらは血の上の教会。アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられた。


そしてこれは、チェスマ教会。ケーキのような教会ですね。ラブリーすぎる。女子の心をワシ掴み。ちなみにチェスマというのは、露土戦争における最重要な戦いとなった「チェスマの海戦」の戦死者を奉っているからだとか。

さあ、明日はいよいよサンペテの偉大なるランドマーク、エルミタージュに突入します。

2016年7月23日土曜日

星の街 ガガーリンとか ソユーズね

モスクワから車(ドライバー&ガイド帯同)で2時間半かけて「星の街(スター・シティ)」にやってきました。

「星の街」は、ロシアの宇宙飛行士が訓練を行う施設があり、宇宙飛行士が家族と一緒に住んでいる町です。ソ連時代には隔離された町でしたが、今は一般の観光客でも訪問することができます。ただし、40日前までに見学の申し込みをしておく必要があります。

モスクワから北東に向かいます。高速道路を降り、木立の並ぶ一本道をしばらく進んでいくと、行く手を遮断機に阻まれます。ゲートの前で、星の街を案内してくれるアレクサンドラと待ち合わせ。


入り口に聳え立つはガガーリンの銅像。右に立っているのがアレクサンドラ。いま、37人の宇宙飛行士がここで訓練しているそうです。

折しもこの日は、日本人宇宙飛行士の大西さんがソユーズで宇宙に飛び立つ2日前。「彼もここにいたわよ」とのこと。


ソユーズのポッドです。ハッチが開いていますが、乗り込むことはできません。


これはミールですね。恐らくシミュレーターでしょう。やっぱ宇宙ステーションはデカい。

見学できる建物は2棟。体育館みたいな地味な箱に、宇宙船が地味に置かれている印象。昨年、LAで訪れたサイエンス・センターとはエラい違いです(ケツにリンク置きます)。


こちらは、プログレス補給船の本物だそうです。これから打ち上げるんでしょうか。

面白かったのは、地球に帰還するポッドの装備ですね。NASAのポッドは海に落としますが、ロシアのポッドは陸に落とします。もちろん、狙ったところにビシっと戻れるとは限らず、砂漠に落ちたり、湿地帯に落ちたり、山中に落ちたりすることも。


どこに落ちてもいいように、サバイバルキットが積み込まれているんです。発煙筒、救急セット、水を濾過する機材や、釣り用の疑似餌まで積んである。ある意味、せっかく地球に無事に戻ってきたのに、帰還後に地上で遭難したら恥ずかしいもんね。

アレクサンドラの案内する星の街ツアーは、1時間ほどで終了です。

我々の場合は、予めリクエストしてあったので旅程に組み込まれていますが、普通に売ってる「星の街」ツアーを見ると、けっこうなツアー料金です。400ユーロほどかかる。

そして「星の街」には、さすがに中国人はひとりもいませんでした。小さいですが、お土産屋もありました。

建物の外に出ると、飛行機が飾ってありました。ミグ15だそうです。ガガーリンが操縦中に事故死した戦闘機と同型とのこと。


帰り際、気になることがあったので、アレクサンドラに質問してみました。

「アレクサンドラ、『オデッセイ』って映画見た?」

「ええ、見たわよ。ずいぶん間違いが多い映画だったわね」

「へー、どんな間違い?」

「例えば、ハーネスを外してからハッチを開くシーン。本当は、ハッチを先に開いてからハーネスを外します」

そういう細かい間違いがたくさんあったと。


さすがです。ロシアで宇宙開発に携わる女史の矜恃を感じましたね。

「なるほど。NASAに負けるなよ、アレクサンドラ」

明日はモスクワを後にし、鉄道でサンクト・ペテルブルクに移動です。モスクワで世話になったガイド氏ともお別れ。ガイド氏、別れ際に「エルミタージュは気をつけて。イタリアからスリ団が出稼ぎに来てるよ」と警告してくれました。

スリ団……。イタリアから出稼ぎ……。その光景を想像してみたら、何だかワクワクしてきました。ダバイ!ダバイ!

▼ロサンゼルスに行ったら、スペースシャトルを見に行こう

2016年7月22日金曜日

モスクワは 地下鉄駅が ゴージャスね

ロシア旅行記パート4です。今日は、モスクワの地下鉄に乗ります。今回のロシア旅行中の移動は基本的に専用の車を使うので、代理店のプランでは地下鉄に乗る予定はありません。ですが、地下鉄駅はモスクワ名物だって聞いていたので、前日に「ゴージャスな地下鉄の駅が見たい」とガイドに頼んでありました。

いつもの旅だと、各都市の路線図アプリを使いながら、自力で地下鉄や路線バスを乗りこなすのですが、今回はガイドに丸投げです。


タガンスカヤという駅から地下鉄に乗ります。IC付きのチケットを買って、ながーいエレベーターでホームへ。

コムソモルスカヤ駅で降りて、ホームを見学。


ゴージャスですねえ。ロココ調ですか。シャンデリア吊ってあるし。モスクワの地下鉄で、もっともお金がかかった駅だそうです。

これは空調パネル。ソ連時代のプロダクトでしょうね。


キエフスカヤ駅にも行ってみました。

美術館みたいです。

これはまた別の駅ですね。ホームで電車を待つ人々。この駅は、何だか防空壕感が漂ってますよね。モスクワが核に狙われたら、地下鉄駅がシェルターになる想定ですもんね。


ロシアの地下鉄は、携帯のアンテナがビンビン立ちますが、電車の中でスマホいじってる人がほとんどいませんでした。不思議です。ひったくりが多いのか。

地下鉄駅見学の後は、墓地見学です。何でなんだw

実はモスクワの墓地、隠れた観光名所です。かなりオモロイ。我々が訪れたのは、ノバデビッチ墓地というところ。偉人のお墓がたくさんある。


この修道院に隣接して、墓地があります。

墓地の中に入り、まず案内されたのがここ。これお墓なんです。何というたわけた墓石でしょう。ロシアの国旗がモチーフですが、生前に本人がこのデザインにしてくれと発注したのかしら。


これ、実はエリツィン大統領の墓でした。何つったって、ロシアの初代大統領だもんね。


お次、ゴルバチョフ書記長の奥さんの墓。墓碑の向こうに女神の像が立ってますよ。これも凄えわ。ちなみにゴルバチョフ本人はまだ存命ですが、隣に自分用のスペースを確保してあるそうです。


このカワイイお墓は、チェーホフの墓。ティム・バートン風ですな。チェーホフといえば「桜の園」ですかね。読んだことないけど。


思わずのけぞってしまう、フョードル・シャリアピンの墓。20世紀前半に活躍したオペラ歌手だそうです。


こちらはフルシチョフの墓。後期ピカソ風。1971年没でしたか。

このモスクワの墓地は、宗教色がほとんど感じられないという珍しい墓地です。ソ連時代は宗教NGでしたからね。その代わり、墓石がアートの対象になっている。自身の姿を彫った彫像が定番です。しかしまあ、みんなドヤ顔だよね。

胸像がずらり並ぶ光景は壮観です。墓地というよりは、彫刻展示場という趣。


上に紹介した人たちの他にも、ショスタコービッチ(作曲家)、イリューシン(飛行機の名前で知られる)、グロムイコ(冷戦時代の外相)などなどソ連の偉人たちの墓がそびえ立つ、なかなか興味深い場所でした。墓参りじゃなくて、墓見物。

ちなみに、この墓地も入場無料なので、中国人がたくさんいます。墓石の前でセルフィー撮りまくるのは止めて欲しいっす。


明日は、モスクワから車で2時間半かけて、宇宙飛行士の町に行きます。